黒沢明監督の映画「生きる」の内容を紹介【海外の反応は?口コミは?】

生きる 邦画

概要

製作:1952
監督:黒澤明
主演:志村喬

黒澤明監督の映画「生きる」は1952年に制作されたモノクロ映画です。
黒澤明が監督した計30本の作品の中でも高い人気を誇り、同年の日本映画大賞と脚本賞を受賞したほか、ベルリン国際映画祭銀熊賞の栄誉にも輝いています。

ただ毎日を漫然と生きている、そしてそのことにも気付けていない気がする―
説教臭いわけでもなく、表題の通り「生きる」ことの喜びについて考えさせてくれる作品だと思います。

ストーリー(ネタバレあり)

とある市役所に30年間勤める市民課課長・渡辺勘治がいました。
かつては仕事に対して情熱的な彼でしたが、役所内の煩雑極まる構図とそれが生み出す無意味な忙しさの中でいつしか意欲を失い、かといって仕事を辞めるわけにもいかず、何も生み出せずにただミイラのように日々過ごすだけの無機質な存在となっていました。

そんなある日、彼は自分が胃癌に侵されており、余命いくばくもないと知ります。
若くして妻を亡くし、男手一つで息子の光男を愛して育ててきた彼でしたが、息子は彼の気持ちには応えてくれません。光男とその嫁の関心事は、もっぱら彼の財産でした。

理解者のいない彼は、孤独と死の恐怖に苦しみます。
死の恐怖といっても、彼が恐れたのは死そのものというより、「何も為さずに死ぬことになる」という事実でした。

それまで遊ぶこともなく過ごしてきた彼は、何も為すことのないまま過ごしてきた自分に腹を立てます。
酒屋で会った男に頼んで、それまで触れることのなかった世の中の快楽について教えてもらった彼は、せめて残りの人生を充実させようと考え、30年弱の公務員人生の中で初めて欠勤します。そして、飲酒やパチンコ、歓楽街に出歩くようになります。
それは、彼の人生において、初めて真剣に生きようとした瞬間でした。
死を目の前にして初めて、生きることの尊さ、かけがえのなさを知ったのでした。

確かにそうした世界は刺激的なものではありました。死の恐怖からいくらか目を逸らすこともできました。しかし、彼にとって心から満足できるものではありませんでした。

そんなとき、職場の部下である天真爛漫な女性・小田切に心を惹かれます。
彼は、自分とは違ってハツラツとした彼女に憧れ、どうすれば自分もそんな風に生きることが出来るのかを知りたくなりました。
彼はそこに、亡き妻の面影を感じていたのかもしれません。

しかし、彼女からは次第に気味が悪いと思われるようになってしまいます。

そうして迎えた最後のデートで、彼は彼女に「どうすれば君のようになれるか」と尋ねます。
「何かをつくるといい」との答えに活路を見出した彼は、以前彼の勤める市民課に提出された「公園を造ってほしい」との陳情を思い出し、どうにかしてその希望に応えようと考えます。

それからの5ヶ月間、役所内の様々な課を何度も回り、助役に何度も頭を下げ、ヤクザに目をつけられながらも苦労に苦労を重ねて公園を完成へと導きます。
そして、雪の降る公園のブランコに一人揺られ、「いのち短し 恋せよ乙女・・・」と唄を口ずさみながら、彼は息絶えます。

公園の設立は評価されますが、それを実現させたのは助役ということになっていました。
しかし葬式の場で、職場の人間や親族が話し合ううちに、彼が人が変わったかのように熱心になったのは胃癌がキッカケであったことなどが明らかになっていきます。彼が胃癌だということは誰も知らなかったのです。

現に、多くの市民が彼を支持し、感謝していました。
式場にいた職場の人間たちは、役所という固い組織の中で闘うことを選んだ彼の精神に感動し、自分たちも後に続こうと決意します。

しかし、それから何日も経つと、そのときの決意はどこへやら、皆一様に、変化を拒む事なかれ主義者へとすっかり戻ってしまっていたのでした。
彼が命をかけて魅せた姿勢は無意味だったのか…。
最後に、彼を最も尊敬している職場の男は、やりきれない気持ちを抱えながら、彼の遺した公園を見つめ、去っていくのでした。

レビュー

この映画は人間の本質を素朴に描いた作品だと思います。
保身に走って権力に抗えない不甲斐なさ、手柄の横取りに見られる汚さ、そして人間は簡単には変わらない生き物であるということ…。
刹那的な快楽はその場限りに過ぎない、人生を真に価値あるものにすることはできない。

作中で、こんなセリフが登場します。

「不幸には立派な一面がある。不幸は人に真理を教えるんだ」

「失って初めて…」とはよく言うものですが、不幸は人を良くも悪くも立ち止まらせます。

不幸は現実の厳しさを教えてくれます。

そして時に、自分にとって本当に大切なものが何かを気付かせてくれるものです。

また、こんなセリフも。

「与えられた生命を無駄にするのは神に対する冒涜だ。人生を楽しもうとすることに貪欲にならなければならない。貪欲は悪徳に数えられるが、そうではない。貪欲は美徳だ」

これは名言ですね。
貪欲・強欲・欲深さは、はしたないものであると見なす向きがあります。

もちろん、そういう類の貪欲さもあるでしょう。

しかし、それは欲のごく一面に過ぎません。
欲は新しいものを作り出す原動力となります。

欲は人に気付きと経験を与えます。

そして欲の複雑さ・多様さ・強さこそが、他の生き物には見られない、人間の人間たる所以であり、だからこそ、欲に素直になることは素晴らしいことなのだと思います。(社会における害悪となるような欲の発揮のされ方はまた別ですが)
この映画の主人公のように、自分の欲が何なのか、いつの間にか心の声が分からなくなっている人もいるかもしれません。

まずは自分の心の声に向き合うこと、そして欲を受け容れ、大切にすることが、必要なのかもしれません。

彼は人生を充実させるために、残された歳月を必死に生きたわけですが、公園を造るのは自分の心を癒すため、自分の人生に納得感をもたらすためのものでもありました。
ミイラのように細く長く生きてきたそれまでの30年間よりも、真剣に生きた最後の半年間の方が、彼にとって濃密で価値のあるものでした。
彼が最期に公園のブランコで揺れながら唄を歌うシーンは、非常に切なく、印象的です。
最後の最後に自分の欲を掘り起こし、情熱的に生きた彼は、充実感を噛み締めながら「人間」として逝ったのでしょう。

 

命短し
恋せよ乙女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の
冷えぬ間に
明日という日のないものを

命短し
恋せよ乙女
黒髪の色 褪せぬ間に
心の炎
消えぬ間に
今日は再び 来ぬものを

生きるとは、ただ存在することではなく、日々を必死に噛み締めること。
問題に挑み、時には後ろに退きつつも、前に進もうとしつづけることなのだ。
「1日1ページではなく、1チャレンジ1ページ」であると。

そんなことをじんわりと感じさせられた映画でした。

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